日本人は元々質実な民族であった2012/01/19 02:25

昨日の日経夕刊に, 作家の高任 和夫氏が次の様なエッセイを載せていた (「さらりーまん生態学 - 不要になるもの」).

以下, 引用.

先日, 携帯電話をなくした. 会社の後輩との飲み会の後でらしい.

「どこで落としたんですか」 と, そのうちの一人が訊く. だが, それが分れば苦労はない.

「この際, 新機種を買ったらいいですよ」 と色々教えてくれた.

まあ買わなきゃいかんなとは思った.

処が何かと取り紛れてしまって, 十日ほどが過ぎるうちに, 疑問が生じてきた. 「果して俺のような人間に, 携帯は必要か」 という疑問である.

家に籠って, 細々と物書きをしている職業なのである.

そりゃあ, 偶には編集者と外で会う事はある. 稀には取材に出掛ける事もある. だが, 携帯がないから絶対に困るかと言うと, そうでもない.

家なり会社なりを仲介して, 連絡を取り合えばいいだけだ.

いや, そんな理屈よりも, 携帯を忘れたからと言って (私はしばしば忘れる), 現実に困った事はないような気がする.

それはそうで, 流行作家でもない者が, 分刻みのスケジュールに追われる訳がないのだ.

そんな事を考えていると, 携帯を持たねばならない理由はないような気がしてきた.

序に言うと, 老人になると, 不要になるものはあるんじゃないか.

まず豪邸は要らない. 子供が巣立っていって, 老人が二人か一人で住むなら小さい家でいい. 立って半畳, 寝て一畳というではないか.

お金も何とか生活できる程度あれば十分だ.

世の中には大変な富裕層が存在するらしいが, どうせ使いきれないなら, 世のため人のために寄付したら如何かと思う.

時代小説を書いていて, 江戸時代の資料などを読んでいると, 日本人は元々質実な民族であったと気付かされ, 溜め息の出る思いのする事がある.

どこかで変ってしまったのだ.

以上であるが, 本ブログで, 「素晴らしきかな! 江戸社会」 と題して, 12 回に亘り, エコ社会だった江戸時代に生きた人たちの, "心意気の素晴らしさ" に触れてみた.

昨年の, 3.11 東日本大震災とそれに続く原発事故は, 我々にこれまでの 「使い捨ての, 便利過ぎた, 贅沢な生き方」 に反省を促した事は間違いない.

お金は確かに生きる上で不可欠のものだ.

然し, 些か 「拝金主義」 に陥り過ぎた感を否めない社会というものは, やはり, 高任氏の言う様に, 「どこかで変ってしまった」 ことには間違いないのではないだろうか?

Have a nice day!
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
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