一知半解ではありますが...2013/08/17 02:43

「一知半解」 とは, 物事の理解のしかたが中途半端で, 知識が充分に自分のものになっておらず, 生噛りの知識である事を意味する, 良く知られた 「四文字熟語」 である.

昨日の日経社説には, 「政治指導者は, 一知半解で歴史を語らず, 過去より未来に目をむけよ」 とあった.

言うまでもなく, 8 月 15 日の, 終戦記念日の国会議員の靖国参拝問題を採り上げたものである.

元々, 靖国神社の前身は, 「東京招魂社」 で, 大村 益次郎の発案のもと, 明治天皇の命により, 戊辰戦争の戦死者を祀るために 1869 年 (明治 2 年) に創建されたものである.

その後, 1853 年 (嘉永 6 年) のアメリカ東インヂ艦隊の司令官, ペリーの浦賀来航以降の, 国内の戦乱に殉じた人達を "合わせ祀る" ようになり, 1877 年 (明治 10 年) の西南戦争後には, 日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊・追悼・顕彰するための, 象徴的施設となったのである.

爾来, 靖国神社は日本兵の心の拠り所となり, 太平洋戦争においても, 戦友と別れる歳に, 「靖国で会おう」 と誓った日本兵が少なくなかったのである.

処が, である.

靖国神社では 1959 年 (昭和 34 年) に, B・C級戦犯を合祀した事に続き, 1970 年 (昭和 45 年) に, 靖国神社の崇敬者総代会で, "A 級戦犯の合祀" が決定されたのである.

然し, この時点では, 当時の 「宮司預かり」 となり, 合祀はされず, 1978 年 (昭和 53 年) になって, 新宮司が就任, A 級戦犯の受刑者を 「昭和殉難者」 と称して合祀してしまったのである.

合祀された A 級戦犯は, 東条 英機, 広田 弘毅, 松岡 洋右ら 14 名である.

なお, 靖国神社は, 東京裁判の有効性や侵略の事実を否定するなど, 「A 級戦犯は戦争犯罪者ではない」 として名誉回復の方針も打ち出している。

「国に殉じた先人に, 国民の代表者が感謝し, 平和を誓うのは当然のこと」 として閣僚を初め, 国会議院たちは靖国参拝を正当化している.

けれども, 戦後, 数年おきに靖国神社に親拝していた昭和天皇は, 1975 年 (昭和 50 年) 11 月 21 日を最後に, 親拝を行なわなくなった.

また, 平成の現在も, 今上天皇による親拝中止は継続されている.

一方, 1963 年 (昭和 38 年) 以降, 毎年 8 月 15 日に開かれている, 政府主催の 「全国戦没者追悼式」 の戦没者の対象に, A 級戦犯も含まれているが, こちらは, 必ずしも, 物議を醸している訳ではなく, 今上天皇は臨席され, お言葉を述べられている.

全国戦没者追悼式は "追悼" であり, 靖国神社は "顕彰" しているという理由からであるとされている.

処で, 2006 年 7 月, 日本経済新聞により, 元宮内庁長官・富田 朝彦がつけていたとされるメモ (手帳 14 冊・日記帳 13 冊・計 27 冊) の存在が報じられた.

メモの全容については, 一般公開されてはいないが, "昭和天皇が, A 級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示した" とされる内容がメモされていた事が注目されたのである.

メモには, 「私は或る時に, A 級が合祀され, その上, 松岡, 白取までもが, 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」 と記されている.

松岡は, 日独伊三国同盟を締結し, A 級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡 洋右, 白取は, これも A 級戦犯で合祀されている元駐イタリア大使の白鳥 敏夫, 筑波は, 1966 年に旧厚生省から A 級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波 藤麿であるとされる.

昭和天皇は, 筑波宮司が A 級戦犯合祀に慎重であったのに対し, 筑波が退任後, A 級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し, その中でも松岡 洋右と白鳥 敏夫までもが合祀されたことに強い不快感を表明した訳である.

メモは, 更に 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」 「松平は平和に強い考えがあったと思うのに」 と記している.

「松平」 は終戦直後の最後の宮内相の松平 慶民. 「松平の子」 は, 長男で, 1978 年に A 級戦犯を合祀した, 当時の靖国神社宮司・松平 永芳とみられる.

「親の心子知らずと思っている」 として, 松平 慶民は合祀に慎重であったのに, その子供である松平 永芳が, 「易々と」 合祀してしまったことに対して, 昭和天皇は強い不快感を表明したのである.

末尾には 「だから, 私あれ以来参拝していない. それが私の心だ」 と記述されている.

処で, 閣僚などの靖国参拝が, 近隣 3 国 (中国, 韓国, 北朝鮮) で問題視される様になったのは, 1985 年 8 月 7 日付で朝日新聞が 「靖国問題」 として特集記事を採り上げた事に端を発するとされる. 

それ以前は, 近隣 3 国から, 抗議や懸念表明はなされていなかったのである.

政治家が 「国に殉じた犠牲者に尊崇と哀悼の念」 を表するのであれば, 何も, A 級戦犯を "恣意的" とも言える遣り方で合祀してしまった靖国神社を参拝せずとも, 天皇陛下にもご臨席戴ける, 政府主催の 「全国戦没者追悼式」 に参列する事でも, その意図する処は充分満たされる筈である.

靖国参拝に固執する政治家は, A 級戦犯者の, 戦争責任に対する位置付けをどう考えているのであろうか?

確かに, 「仏になれば, 善人も悪人もいない」 との考え方もあるだろう.

然し, 「二度と悲惨な戦争は繰返さない」 との決意を, 将来に亘って伝えて行くには, A 級の戦争犯罪者は, やはり, "赦さるべきではない", と私は思うのである.

この一点においては, 近隣 3 国の思惑とは無関係な筈だ.

例えば, 城山 三郎の 『落日燃ゆ』 などを読むと, 「文官として, 唯一, 絞首刑に処された, 広田 弘毅は, 本当に A 級戦犯か?」 との思いを強くせざるを得ない, と言う事実もある.

けれども, 政治の中枢にあるものの常として, 時には, 理不尽とも言える事柄であろうと, 受容し, 責任の所在を明らかにする局面に立たされるものなのだ.

それを解っていたからこそ, 広田 弘毅は, 多くを語る事無く, 刑に甘んじたのではないか? と思うのである.

靖国参拝問題については, .信教の自由に関する問題, .政教分離の問題, .歴史認識・植民地支配に関する問題, .戦死者・戦没者慰霊の問題など, 容易には解けない, 複雑な問題を孕んでいる事は承知している.

然し, 天皇陛下は, 或る意味, "ケジメ" を付けておられ, 「流石ご立派!」 と思うのである.

国会議員に当選したり, 入閣すると, 途端に, (恐らくは, 選挙票目当ての "プロパガンダ" 目的で?) 靖国参拝を始める輩がいる様にも感じられる.

メディアが, 「政治家の行動を殊更に取り上げて報道する」 が故に, 問題を複雑にしている面もあるのではないか?

飽く迄も 「個人的な」 行動として "無視" し, 報道などは一切しなければ如何だろうか?

以上, 私自身も 「一知半解」 ながら, 毎年, この時期に想う事なのである.

本日のカット写真提供 : 下平 宏 氏 (雪の日のスカイツリー)

Have a nice weekend!
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