「老いる」 と言うこと - 「くれない指数」 ― 2011/01/03 02:23

今年届いた年賀状を読みながら思った事がある.
毎年, 11 月に入ると, ポツポツと年末年始の挨拶を欠礼する旨の葉書が届き始める様になる.
過日, 村上陽一郎東洋英和女学院大学学長が 「あの時, こうだったね, ああ、そうそう, と言って, 嬉しい体験も, 辛い思いも共有してくれる相手がいなくなること, それが老いることの一つの意味なのだ」 と言っていた.
それ以来, ここ暫く, この言葉が何となく, 心に引っ掛かっている.
人間も還暦を過ぎると, 小中学校や高校の同窓会などは滅多に開かれることがなくなってしまう. また, 開かれたとしても, 何人かは既に鬼籍に入ってしまっていたりする.
更に, 長年連れ添った (?) 連れ合いに死なれてしまったりすると, 独り身の寂しさが急速に募って来る様になり, 人生の虚しさを感じたりする人は少なくないに違いない.
正しく, 村上学長の言葉には, 胸に迫るものを感じるのである.
万が一, 認知症にはならず, 何とか独り住まいを送れたとしても, 「孤独死」 や 「無縁死」 と言った形で人生の最後を迎える可能性は決して小さいとは言えない.
自分自身, そんな事を徒然に思う日もあるのである. 自分自身, やはり 「老いた」 と言う事なのであろうか?
何れにせよ, 長寿を望むならば 「健康寿命」 を前提としなければならない。
寝たきりで, 或いは, 病院生活で命を永らえても, その人の本来の QOL (生活の質) は著しく低下してしまっている訳で、所謂, "生甲斐" を見いだすのは困難だろうからである.
処で, 話は変るが, 本欄 「Wish List」 の欄で紹介した, 武沢氏がブログ 「がんばれ社長!」 でこんな事を言っている.
"「主張しないことは損だ」 という意識が出る事を老化という. 曽野綾子さんの 『老いの才覚』 に 「くれない指数」 という言葉が紹介されている.
「取ってくれない」 「もってくれない」 「してくれない」 など, 「○○してくれない?」 と他人を当てにするようになることが 「くれない指数」 が上ってきた証拠なのだとか. つまりそれが老化であると曽野氏.
恥じらう事よりも, 権利を主張する意識が強くなってきたら, 注意しよう. それは老化の表れであると同時に, 戦後の行き過ぎた権利と平等と自由の教育の弊害でもある.
「年金の受け取りが減るから仕事はこれだけしかやらない」 と考える人が多いそうだが, それも本来, 逆だろう.
「仕事をするから年金は要らない」 「仕事をこれだけやるから年金は減らして貰って構わない」 と考えるのが筋である.
周囲に対して 「○○してくれて当然」 と思うのをやめよう.
誰かに何かの依存をしない. 老後のことを家族や行政に面倒見て貰おうとも思わない.
自分のことは自分でするし, もし何かのサービスを受けねばならない時には対価を支払ってそれを受ける. 対価が払えない時には, 野垂れ死にしても構わない.
そう覚悟する事が 「老いの才覚」 である, と言う曽野氏の説は傾聴に値する.
曽野氏は, 「老人はもう少し遠慮すべき」 として高齢者に与えられた権利を放棄した方がいいとも述べている.
確かに, 食べ放題の焼肉店で暴食して後悔するのは若者だけに許される事であって大人がそんな事をしていては恥ずかしいだけだ.
曽野氏の夫・三浦朱門氏もれっきとした高齢者だが, 映画館の割引も使わないそうだ."
そう, 「老いる」 と言う事は, 世間に対する鼻持ちなら無い 「甘え」, 詰り, 曽野 綾子さん言う処の 「くれない指数」 が上がる事でもある訳である.
年はとりたくないものである.
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
http://www.ne.jp/asahi/shinqma/tommy/index.html
(なお, 診療予約時、「健康小話」 を読んだ, と言って戴いた患者さんは,
初診料が半額になります.)
心や身体に関する悩み事など, お気軽にご相談下さい.
E-Mail : tadashi.fukutomi@tcat.ne.jp
English speaking clients are welcomed!
Oil massage is available!
毎年, 11 月に入ると, ポツポツと年末年始の挨拶を欠礼する旨の葉書が届き始める様になる.
過日, 村上陽一郎東洋英和女学院大学学長が 「あの時, こうだったね, ああ、そうそう, と言って, 嬉しい体験も, 辛い思いも共有してくれる相手がいなくなること, それが老いることの一つの意味なのだ」 と言っていた.
それ以来, ここ暫く, この言葉が何となく, 心に引っ掛かっている.
人間も還暦を過ぎると, 小中学校や高校の同窓会などは滅多に開かれることがなくなってしまう. また, 開かれたとしても, 何人かは既に鬼籍に入ってしまっていたりする.
更に, 長年連れ添った (?) 連れ合いに死なれてしまったりすると, 独り身の寂しさが急速に募って来る様になり, 人生の虚しさを感じたりする人は少なくないに違いない.
正しく, 村上学長の言葉には, 胸に迫るものを感じるのである.
万が一, 認知症にはならず, 何とか独り住まいを送れたとしても, 「孤独死」 や 「無縁死」 と言った形で人生の最後を迎える可能性は決して小さいとは言えない.
自分自身, そんな事を徒然に思う日もあるのである. 自分自身, やはり 「老いた」 と言う事なのであろうか?
何れにせよ, 長寿を望むならば 「健康寿命」 を前提としなければならない。
寝たきりで, 或いは, 病院生活で命を永らえても, その人の本来の QOL (生活の質) は著しく低下してしまっている訳で、所謂, "生甲斐" を見いだすのは困難だろうからである.
処で, 話は変るが, 本欄 「Wish List」 の欄で紹介した, 武沢氏がブログ 「がんばれ社長!」 でこんな事を言っている.
"「主張しないことは損だ」 という意識が出る事を老化という. 曽野綾子さんの 『老いの才覚』 に 「くれない指数」 という言葉が紹介されている.
「取ってくれない」 「もってくれない」 「してくれない」 など, 「○○してくれない?」 と他人を当てにするようになることが 「くれない指数」 が上ってきた証拠なのだとか. つまりそれが老化であると曽野氏.
恥じらう事よりも, 権利を主張する意識が強くなってきたら, 注意しよう. それは老化の表れであると同時に, 戦後の行き過ぎた権利と平等と自由の教育の弊害でもある.
「年金の受け取りが減るから仕事はこれだけしかやらない」 と考える人が多いそうだが, それも本来, 逆だろう.
「仕事をするから年金は要らない」 「仕事をこれだけやるから年金は減らして貰って構わない」 と考えるのが筋である.
周囲に対して 「○○してくれて当然」 と思うのをやめよう.
誰かに何かの依存をしない. 老後のことを家族や行政に面倒見て貰おうとも思わない.
自分のことは自分でするし, もし何かのサービスを受けねばならない時には対価を支払ってそれを受ける. 対価が払えない時には, 野垂れ死にしても構わない.
そう覚悟する事が 「老いの才覚」 である, と言う曽野氏の説は傾聴に値する.
曽野氏は, 「老人はもう少し遠慮すべき」 として高齢者に与えられた権利を放棄した方がいいとも述べている.
確かに, 食べ放題の焼肉店で暴食して後悔するのは若者だけに許される事であって大人がそんな事をしていては恥ずかしいだけだ.
曽野氏の夫・三浦朱門氏もれっきとした高齢者だが, 映画館の割引も使わないそうだ."
そう, 「老いる」 と言う事は, 世間に対する鼻持ちなら無い 「甘え」, 詰り, 曽野 綾子さん言う処の 「くれない指数」 が上がる事でもある訳である.
年はとりたくないものである.
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
http://www.ne.jp/asahi/shinqma/tommy/index.html
(なお, 診療予約時、「健康小話」 を読んだ, と言って戴いた患者さんは,
初診料が半額になります.)
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E-Mail : tadashi.fukutomi@tcat.ne.jp
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