院内感染予防の父 - イグナーツ・ゼンメルヴァイス2011/08/26 02:03

西洋史家・樺山紘一氏によると, 産褥熱の病因発見を巡る一件は, 近代医療・医学の歴史上, 「最大の悲劇」 とされているそうである.

ハンガリー生まれの医師, イグナーツ・フィリップ・ゼンメルヴァイス (1818 年 - 1865 年) は, オーストリアのウィーン総合病院産科に勤務していた時, 今日で言う接触感染の可能性に気づき, 産褥熱の予防法として 「手洗い」 を提唱した.

消毒法及び院内感染予防のさきがけとされ, 「院内感染予防の父」 と呼ばれる所以である.

だが, 彼は, 存命中は, 不遇な人生のままその生涯を終えている.

彼は, 自宅分娩や同じ病棟で助産婦が行う分娩と, 医師が行う分娩では, 産褥熱の発生率が 10 倍も違うことに疑問を持ち研究を始めた.

この原因を明らかにしようと, 分娩後に死亡した遺体解剖を行っていた或る日, 同僚の一人がうっかり自分の指を切創し, そのまま解剖を行った後日, その同僚は産褥熱と同じ症状で死亡してしまったのである.

この経緯から, 目に見えず, 臭いでしか確認できない死体の破片が医師の手に付着していることが原因であると結論した.

当時は, "病原菌" などの概念が無かったのである.

彼は自説に基づき, 脱臭作用のある 「塩化石灰水溶液」 で手を洗うことで, 死体の臭いを取り除くことを医師仲間に奨励し, その結果, 産褥熱による死亡者は激減したのである.

けれども, 彼の革新的な主張は学会で受け容れられなかった。

ゼンメルヴァイスの説が受け容れられなかった最大の理由は, 「患者を殺していたのは医師自身の手である」 という, 医師にとっては到底受け容れがたい結論にあった.

彼の論文を読んだ医師が自殺するという事件まで起きたと言う.

また, 彼自身が論文発表を苦手としたために, 研究成果の発表が大きく遅れた点も不幸だった様だ.

それでも, スイスの雑誌に発表した論文が, イギリスの外科医ジョゼフ・リスターの眼に止まり, やがて, 手を消毒することで細菌感染を予防するという消毒法が齎される事になったのである.

ベルリン大学で病因論の権威者であったウィルヒョーが, 彼の論文を批判した事が決め手となって, 彼はウィーン総合病院を追われ, ハンガリーのブダペスト大学に移ったが, ここにも居られなくなってしまう.

彼が在籍していた当時, 塩化石灰水溶液で洗浄を行った結果, 産褥熱による妊婦の死亡率は 3% であったが, 彼が病院を追われると, 洗浄導入以前の 30% にまで戻ってしまったのである.

このような相関関係に気づいたゼンメルヴァイスは, 自身が, 過去に過失で多くの妊婦らを死に至らしめていた事実に気づき, 罪の意識に苛まれる様になってしまう.

彼は, 消毒による産褥熱の予防に, 数々の病院を廻るが, 熱心のあまり, 半ば強要や脅しに近いものであったため, 同業者も門前払いにし, 医学会は彼を 「危険人物」 扱いにした程であったらしい.

医師としての立場を失ない, 精神のバランスを崩した彼は, ウィーン総合病院の精神科病棟に入院, 失意のうちに死去したと言われる.

死因は敗血症, 梅毒, アルツハイマーの 3 つの説があるが, どれが真実であるかは確定されていないとの事.

コッホらによって伝染病の病源菌が相次いで発見される, 僅か 20 - 30 年前の事であった.

因みに, ルイ・パスツールが科学会議の席上において 「ゼンメルヴァイスが消毒していた "殺し屋" とは連鎖球菌である」 と発表, 彼の汚名を雪いだのは, 1789 年である.

西洋医学というのは, ここ 200 年程度の間に目覚ましい進歩を遂げてきた事が, この一事を以っても知る事が出来る.

Have a nice day!
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