観相学の大家水野南北による 「食と運勢」 - Part (1)2010/08/20 02:27

江戸時代に, 水野南北 (1757 - 1834) と言う観相家がいた.

亡くなった時は 77 歳だった. 当時の平均寿命は 40 歳程度だから, 当時としては長生きの部類に入る.

水野南北は幼少時に両親と死別, 大阪のおじ夫婦に引き取られる.

10 歳の時には酒を覚え, その後何年も, 酒・博打・喧嘩に明け暮れる毎日を送った. 18 歳の時, おじの金を盗んだりして, 牢獄に入った. それまで, 盗み・殺し・詐欺紛い等々色々悪事を働いたらしい.

南北は牢内で, 罪を犯す人間と, そうでない人間とで, 人相上の違いがある事に気付いたのである.

人には生まれながらのシナリオがある. 後世に伝わる観相家となった南北であるが, 観相家としての最初のスタートは獄中だった訳である.

水野南北については神坂次郎 (コウサカ ジロウ) の 『だまってすわれば 観相師・水野南北一代』 (新潮社) と言う大変面白い小説がある.

彼によると, 荒れていた南北が, 或る時, 雲水に会い, 「死相がある. 沢山の人の恨み・憎しみを買って来たからだろう. このままだと 3 日で死ぬ」 と言われた処から始まっている.

如何言う廻り合せか, 3 日間大坂の汚れた川の掃除をする事になり, 南北はそれを続ける.

結局, 3 日後に会った雲水から 「死相が消えた. 何をしたのか」 と言われる.

観相に興味を持った南北はこの雲水に教えを乞い, 人相・手相の要諦を学ぶのであるが, この雲水の姓が 「水野」 だったので, 水野姓を名乗る様になったらしい. 

(余談だが, 神坂次郎には 「千人斬り」 と言う, これまた "超面白い" 小説がある. 女に手酷く捨てられた臆病極まりない侍が, 如何言う訳か, 一念発起し, 「千人斬り」 の悲願達成を目指す物語である. 

この他, 『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』 (新潮社), 『元禄御畳奉行の日記 尾張藩士の見た浮世』 (中公新書) など読み出したら止められない著書が沢山ある.)

然し, 如何に観相学に打ち込んだ南北と雖も, 百発百中と言う訳ではなかった.

如何しても例外がある.

吉相だと思っていても, どんどん衰運になる人がいる. 逆に, とても貧相な人で興隆運の人もいる.

悩んだ末, 南北は伊勢神宮に籠ったのである. 外宮の祭神は 「豊受神 (トヨウケノカミ)」 だが, その外宮に詣でている時, 突然に閃きがあったと言う.

「人の道は食にあり」 と. 豊受神が食の神様と言うのも面白い符号である.

「持ち金の大小によって食が変る (贅沢する) 人は必ず衰運になる. 食べ物, 飲み物を慎む人は必ず興隆運になる」

人を占うのに, 先ず, その人の飲食の様子を聞いて, それによって運・不運を判断した処, 万に一つの誤りがない事が判った.

これを自分の観相法の極意と定めた.

酒は大好物だが, 日に 1 合と定めた.

「少食で厳しく定めている人は, 仮令, 貧乏であっても相応の幸せがあり, 長生きして, 何事も大抵不自由なく, ひ弱そうに見えても病気をする事がない」 (大見屋刊 『水野南北 開運の極意』)

そこに気付いてからは 「百発百中, 当らざるなし」 と言われたのである.

600 人の弟子の殆どが職業的観相家であり, さらに, その殆どが 100 人, 200 人の門弟を持っていたと言うから, 南北には何万人もの孫弟子がいた訳である.
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
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