救世忍者 乱丸 - 義眼の女子プロレスラー2012/05/28 02:13

救世忍者 乱丸は, TWF 世界タッグ王者にも輝いた現役のプロレスラーだ.

彼女は 3 歳の時, 網膜芽細胞腫と言う目の癌に罹り, 片目を摘出した.

小学校 4 年の時, 空手師範だった父の影響で, 空手を習い始め, 以後, 空手に嵌って, 国際武道大学に進学, 世界大会にも出場を果す.

然し, 大学 3 年の時, 偶然観戦したプロレスの虜となり, 紆余曲折を経て, 漸くプロデビューを実現する.

紆余曲折, と言ったのは, 義眼の人に, プロの道は閉ざされていた時期があったからである.

「気合だ! 気合だ! 気合だ!」 で知られるアニマル浜口 (五輪メダリストの浜口 京子の父親) のプロレスラー養成ジムに通ってプロデビューを目指したり, デビューはしたものの, 一旦は引退を余儀なくされたり...と言った試練の時期があったにも拘らず, 現在の彼女があるとの事.

その幾つかの試練の中でも, 最も過酷だったものは, 第一次絶頂期とも言える時期に 「急速進行性糸球体腎炎」 と言う病魔に襲われ, 絶体安静を宣告された時だと言う.

入院生活を送っている時に, これも一世を風靡した元女子プロレスラー, ジャガー横田と, そのご主人である木下 博勝医師が見舞いに来てくれた.

そして, 木下医師は 「何だ, その病気だったら, 時間は掛かるかも知れないけど, 必ず治るよ. 安心したよ!」 と乱丸に言ったのである.

それまで, 彼女は, 主治医や看護師からは, 薬の副作用で 「骨粗鬆症になる」 などと言われて, プロレスラーの仕事をほぼ断念していた.

それで, 木下医師の言葉に不思議な気がしたものの, 「よし, それなら頑張ろう!」 と, 気持ちを入れ替える事が出来, 密かにリング復帰に向けて, 始動を開始したと言う.

2 年後の 2008 年に復帰戦を準備してくれたのはそのジャガー横田と, 先輩のライオネス飛鳥の二人だったと言う.

彼女は無事復帰戦を終えると, 真っ先にジャガー横田と木下医師の夫妻にお礼を言いに行った. 「先生のあの時の言葉が凄く励み人なったんです」 と.

すると, 木下医師はこう答えたと言う. 「いやあ, 実は病名を聞いた時, 復帰できるとは思ってなかったんだよ. 可能性はゼロだと思っていたんだ」

これを受けて, 乱丸は述懐している.

「世の中には不可能を可能にする力が存在すると私は思います.

一つには固い決意と粘り強さ.

プロレスラーになれなくて悩んでいた時も, 私は必死にもがいて行動し, 絶対になるんだとしか考えていなかった.

入院生活中に復帰を決意した時もそう.

そして, 不可能を可能に変えるもう一つの力は, 周りにいる人がどんな言葉を与えるかではないでしょうか.

苦しい時を経て今も憧れのリングに立たせて戴いている事の幸せを噛み締めながら, 私もいつかジャガーさんや木下先生のように, 困っている誰かに手を差し延べる事のできる存在になれたらと願っています」 と (「致知」 5 月号).

過日, 脳性麻痺の 6 歳の男児が, 父親の出征中に懸命のリハビリを続け, 父親が帰還した時は, 歩いて迎えに出た youtube を紹介した.

この男児の母親は, 主治医から, 「歩行出来る様になるのは難しい」 と告げられていたと言う.

さて, 「病は気から」 と言うが, 人間に本来備わっている "生命力 (生命エネルギー, 免疫力, 或いは, 気)" とは, 時に, 奇跡とも言えるほどの超人的能力を発揮するものである.

勿論, そこには, 「元氣になろう, 病気を克服しよう」 と言う, 本人の "強い意志力" と "懸命の努力" とがある事を見逃してはならないが...

Have a nice day!
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はり・きゅう・マッサージ トミイ
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(なお, 診療予約時、「健康小話」 を読んだ, と言って戴いた患者さんは, 初診料が半額になります.)
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